2005年10月23日

響鬼

仮面ライダー 響鬼」 ほとんどテレビを観なくなった私だが、片岡礼子が出演するというなら観ておかねばなりませぬ。
私も片岡礼子ファンにありますから。

響鬼というテレビ番組そのものについては、あまり言及しようと思わないが、いろいろありでいいんではないか、くらいに思っている。

ただ、面白いなと思ったのが、「憎しみ」について。
前回と今回としか、私はこの番組を観ていないので、設定を理解し切れていないかもしれません。ただ、おおよそ、初代仮面ライダーのように、正義の味方があり、その集団が「鬼」。そして、敵方は、ゴジラとかの怪獣を縮小した怪獣、悪役は二種あるようだが、どういう関わりがあるのかがよくわからない。あとで、公式サイトを読んでみよう。

「憎しみ」、正義の味方が憎しみで敵と闘ってはいけない。
もともとは片岡礼子演じる朱鬼は親を魔化魍(怪獣をこう呼ぶらしい、公式サイト見る)により殺された、その憎しみのため、仇と魔化魍ツノゴと闘う。
で、主人公達は、憎しみをもって闘ってはいけないと、朱鬼と対立する。

ドラマとしては、力を得たものが憎しみを頼りに闘ってはならない、ということを言いたくあるのだろうなと思う。
これは至極真っ当なように見えるけれど、私は少し違うなと考える。

この言葉に思い出したのが阪神大震災である。
家屋はもちろんのこと、高速道路まで潰れてしまった。それこそ、ゴジラのような怪獣に踏みつぶされたごとく。
子供の頃から、学校を始め、地震の時は落ち着いて行動しなさいと頭に刷り込まれている世代の私は落ち着いている間に屋根の下敷きになって押しつぶされているだろう。
つまりは、「落ち着く」は「思考を停止する」に等しい。
テロだなんだと騒がれている昨今、どこいらかの人達が「テロに屈しない」と喚いておられるが、その言葉の意味はテロ行為に影響を受けず日常生活を守りましょう、そして、続けましょうということだ。
それは、危険認識を持たず、思考を停止し、日常生活をなぞりましょうと言うに等しい。

さて、「憎しみ」云々について。
憎しみを持たずに闘いましょうと云うのは、ようは心を鈍感の位置に固定化して、単純な二元論の価値観を持ちましょうということだ。いわば未成熟であれということだ。
本来は「憎しみ」を忘れず、それを思考で如何に制御するか、葛藤するかが、成熟したはずの人が為すべき行為だと云うこと。これを無視して心地良い言葉に安住するようではならない、子供を対象とした番組であればあるほど、そのへん、考えてもらいたいなと考えた。

「憎しみを忘れるな……憎しみがお前を強くする」。
いい台詞だと思う。
posted by SJ at 17:19| 京都 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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